価値観のクロスオーバーに注意してワイドショーをご覧ください。
多分の想像の話。
社会とかそんなものが全然なかったぐらい凄く昔、
人はその時分だけ、資源を消費していたのだろう。
その時食べられる分、その時飲む分、その時燃やす分
体格で微妙な差はあれど、ほぼ量が決まっている。
ある時、一人が気づく。
「入れ物を作って、その中に水を入れておけば、
いちいち池に行くこともなくなる」
これにより“その時分”は“一人分”に変わる。
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“一人分”は量が定まらない。
1日分の“一人分”なのか?10日分の“一人分”なのか?
10日分の“一人分”は、5日分の“二人分”になる。
これに気づいた人は、役割分担を思いつく。
「おまえは10日分の“一人分”の水をとってこい。
わたしは10日分の“一人分”の実をとってくる。」
5日分の“一人分”の水は、
5日分の“一人分”の実と同じ価値。
それに気づいた人は、
5日分の“一人分”を4つ持っていれば、
水と実と塩と魚が手に入ると考える。
同じ池で5日分の“一人分”を4つを手に入れれば、
5日分の水と実と塩と魚が手に入る。
最初
5日分だったのが 10日分に、
10日分だったのが 20日分に・・・
いっぱい水を手に入れれば、長い時間分の食料が手に入る。
っというか、いっそうのこと池ごと自分のものにすればいい。
気づいた人から始まる独占。
池を手に入れた人
森を手に入れた人
海岸を手に入れた人
船を手に入れた人
価値があるとされるものは、別の価値と交換できる。
価値が分りにくいもの、定量化できないものは、交換しにくい。
友情、親切、信頼、伝統・・・
価値の多様
社会システム上、扱いにくいモノはその世界において価値が発生しない。逆に、社会システムで扱いやすいものは、お金という価値を与えられる。
社会システム上の価値が、絶対の価値ではないことも知っている。自分の価値、他人の価値、社会の価値。いろいろな価値があることを“価値の多様化”として知っている。
価値観のクロスオーバー
ところが困ったことに、社会の価値と一個人の価値はクロスオーバーする。これがややこしい。
リストラされたがとても優しいパパでも、
医療費が莫大にかかる難病にかかる。
本を探すのがむちゃくちゃ速いバイト店員も、
それでは一生は食ってはいけない。
加害者が執行猶予の判決を受けても、
被害者にとっては死刑でも足らない。
やりたい仕事だけど、儲からない。
自分の価値を重視するか?社会の価値を重視するか?
それをはっきりとしないと誤解が生まれる。
「そんなこと言ったって、法律では刑期が決まっている」
と言えば、冷たい人だと言われるだろう。
「儲けが少ないダンナには、この程度の扱いで十分」
とは、すっかり価値を混同しているご意見。
×他人の価値観の理解 ○自分の価値観の理解
価値の多様化は、
全く理解できない他人の価値を、どう取り扱えばよいか?
という問題なのではなく、
一個人にも多様な価値観で生活せざる終えなくなった状況
で、価値のクロスオーバーにどう対応するか?
ということなのかもしれない。