白い輪ゴムは終点じゃない
「やらない善意より、やる偽善」
続きは↓ココから↓

何かと理想的な小言ばかり言って、結局何もできない輩やと思われるのもイヤやし。
そんな意味で書いた訳じゃないって。
80年代、ロックスターさんたちが集めた金は、アフリカの国々が先進国に借りた金を返すのに使われ、一週間でなくなっちゃったとか。つまり、先進国の金になった。
結果的に見れば、「飢えた子供たち」という魅力的な商品を使って、スターたちが「正しい人」であることを宣伝しただけ…と、悪口さえいえるかもしれません。
AZ::Blog:世界の貧困のこととか
overQさんのこのエントリーは今年7月9日に書かれています。
この時期はホワイトバンドが騒がれ始めた最初の頃。
なんか慎重になってた自分は、overQさんのこの記事を読んでやっともやもやが取れた気がした。
80年代のそれと大きく違う点、それは活動趣旨、目的。
80年代は募金だったんだろうが、今は意識の継続…
そして、ホワイトバンドの問題点wikiにはこう書いてあります。
3秒に一人、子供が貧困から死んでいます。食べ物がない、水が汚い、そんなことで。そうなのです。わざわざ自分の意思を示す行為にお金を払う必要があるのか?
この状況を変えるには、ホワイドバンドではなく、あなたの声が必要です。
貧困をなくそう、という声を表す為にホワイトバンドを購入する必要はないのです。
みんながホワイトバンドをしているから、自分もしないといけないって思うの?
そういう風潮だから、自分もその善意を持つの?
そして広まるの?流行みたいに?
バンドを見て常にその意思を思い出し、事あるごとに悩む?
これが意思の継続なんだろうか…?
これが、もやもやの内訳。
これがきっかけで世界の貧困について考えられたこと、それはホワイトバンドの功績だろうが、300円払う意味は見出せなかった。個人によって価値は違うだろうから、300円払う人はそれでいいと思う。
↓下のことを理解した上で…。
要するに、NGOの政治活動資金と製造コストに全額が使われており、アフリカの子供達には一円も行ってないと言う事が分かる。大佐blog in ニュー速:ホワイトバンドの黒い影
ホワイトバンドの事を悪く書きすぎちゃってますが、
やっぱね、「やらない善意より、やる偽善」なんですよ。ごちゃごちゃ言っているよりか、何でもいいからやっている人がエラいんですよ。でもね、そう思ってある人は中東行って誘拐されているわけです。
正直、考えますって。
でも悩んでも悩んでも、自分の小ささしか感じないわけです。
同じような大きな問題に対して、昔から行動している人たちが仏教の坊さんだったりします。
彼らはご存知の通り殺生NGなんですが、食ってるんですよ。そりゃまぁ。
食わないと生きられないのに、殺すなという矛盾に常に悩み続ける。
その矛盾を理由に世の無知な人は「生臭坊主」呼ばわりするんですが、彼らは「開き直り」と「世の無常」の差は知っているわけです。
食後の食器をお茶と沢庵で洗い、それを飲み干す。
こんなことをしたって、アフリカの難民にはさほど影響がありゃしません。せいぜい醤油の量が少し減り、坊さんが減塩生活できるだけ。
でも、それを続ける。
自分の小ささを常に感じ、自分が生かされている現実を説き、自分が信じる小さな行為を繰り返す。そして無力を侘び続ける。
なーんだそんなことか!と思われるかもしれない。
でも、悪い坊さんもいるだろうけど本心で坊さんって職業をやっている人も同じ量がそれ以上いる。
昔は哲学者的存在だった坊さんが、数百年考えて出した答えがこれだったりする。
歴史的史実を根拠に、それを否定されるかもしれない。
たしかにそうなのかもしれない。
でも、継続的な意識って、こういうのも一つの答えなんじゃないかなぁ?
白い輪ゴム付けるだけでその気になっているよか、いいと思うんだけどなぁ。
ちゃんと考えた上で白い輪ゴムって結論になるのかなぁ…?
つーかねぇ、輪ゴムは考えるきっかけであって、終点ではないのですよ。ケコーン指輪と一緒。
考えるために、賛否両者の意見に耳を傾けません?
□ほっとけない世界のまずしさキャンペーン
□ホワイトバンドの問題点wiki
■TrackBack
□世界の貧困のこととか[AZ::Blogさん]
□ホワイトバンドの話[Modern Syntaxさん]
□ホワイトバンドの黒い影[大佐blog in ニュー速 さん]
白い輪ゴム
書きたい事はいっぱいあるんですけど、何を書いても角が立ちそうな事ばかり。
KOuさんならわかってくれそうなので書いてみます。
・僕は飢えている人たちにはビタ一文あげません。
・途上国を救う事は先進国の崩壊につながります。
うーわ、僕ってば極悪人。
途上国に必要なのは援助ではなくて産業と教育です。地球上の富は有限です。富の平均化を図る事で僕らはいい人じゃいられなくなります。
途上国が豊かになる事が僕らが貧乏になる事だとしたら、どこまでやりますか。
あんまり貧乏にならない程度に配分してあげますか。それって善意ですか。
喧嘩売ってるつもりじゃないんです。僕も答えがわからないんです。
考えるのは、良いことだと思います。
http://www.hottokenai.jp/faq/
「20年前のライブエイドはアフリカ救済を訴え、280億円の募金を集めて寄付しました。よくやった、とそのときは思ったそうですが、後に、280億円はアフリカが先進諸国に返済している債務額の一週間分だ、と知ったとき主催者は、愕然としたそうです。」
一週間280億円は、単純計算だと一年で1兆4600億円になります。財務省のサイトによると、平成15年末、全世界の開発途上国の累積債務総額は約316兆円。すごい額です。
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/004.htm
で、日本の公債残高はと言うと、平成17年末で約538兆円の見込み。
対外債務じゃないとか外貨準備や年金積立金で相殺できるとかいろいろと議論はありますが、考える材料になるのではないかと思います。
つけることは悪くないって。どんなゴムでも。
その気持ちが大切なんだよ。
■amerio さん
あははww。実は大体同じ事を思っています。だから角も喧嘩も感じませんよ。ってか、これは意見の交換ですからそれ以上の感情はOFFです。
「自分の豊かは手放す気にならないけど、資源が有限と判ってて周囲全員が豊かになってほしいと願う矛盾」
同じ自己矛盾を抱えているという点で坊さんの例を出しました。彼らはその矛盾を十分理解していて、それありきで答えを見つけようとしているように思います。
この自己矛盾を認め、その先を見つけることぐらいしかできないんじゃないでしょうか?矛盾に対しての賛否はあまり重要ではなくWhiteBandの純粋行為の賛否にはあまり興味がありません。(騙しているかも?には否定ですが)
どうも答えがデジタルな感じがするんですよね。極に賛否。人の意見はもっとアナログでいいはずなんです。郵政民営化も。
今話題のLOHASな考え(自分も幸せ、地球も幸せ)が今最もBESTな答えかなぁってうっすら感じています。
>あんまり貧乏にならない程度に配分してあげますか。それって善意ですか。
善意かどうかはわからないけど、ボクはそれぐらいしかできないのかもしれないなぁと思っています。今の豊かには過剰な部分も沢山あります。どれだけを過剰と考えるかは個人によって差があるので、エアコンは28度と決めなくても良くて基準でいい。その過剰分を放棄→配分することはできるんじゃないかな?
でもそれにも矛盾があります。近代社会はその過剰を手に入れるために必死になってきました。その目標を放棄することは、社会主義にも似た崩壊構造があるように思います。
>途上国に必要なのは援助ではなくて産業と教育です
途上国の現状はTRON OSのような悲劇により生まれた側面もあります。その意味での格差は無くしてもよくて、「教えたるから後はがんばれ」はいいですよね。
それと途上国には、経済ゲームにあえて参加しないことでスローライフを選んだ国もあります。そういった国も混在させて経済ゲーム上の価値観で図るのはどうかと思いますね。
某国の人達は「ほっといたれよ!」がない人達ですから…。
■ヒロさん
おひさです。
約316兆円、約538兆円・・・
この数字はとても説得力がありますねぇ…。
経済ってそういうことだったのか会議
↑この本はボクの経済オススメ本なのですが、こんな初歩入門書を読むだけでも貨幣という不安定なシステムが見えてきます。
http://www.eurospace.co.jp/artdetail.cgi?idreq=adt983332285
↑その後で彼の作品を見ると決定的です。
すっかり数字ゲームとなってしまった現代経済はこの後どれだけ続くのでしょうか?マクロとミクロが分離するかもしれないっとはてなポイントとか見ていると感じてしまいます。
>主催者は、愕然としたそうです。
ってやる前に調べとけよ!(^^;
途上国への経済援助が日本の財政を圧迫しているのは確か
『援助より貿易を』をスローガンに立てたのが
40年以上前なのにね…
カバチはボランティアとか
元々、大嫌いなヤツ
無償にするから無責任になることって少なからず
あると思っている
報酬をもらうのだから最後まで責任を持つ
ってのが本来あるべきものと思ってる
ホワイトバンドは?
アクセサリーとして可愛いから買った
以上(笑)
カバチの批判はいくらでもしてくれていいけど
カバチのブログのお客様の批判はやめてね
…それが過剰に進むと、近年のドイツのような排国主義になるんだろうけど…。
ボランティアは金銭的な契約がないという定義であって、金銭以外の報酬についてはケースバイケースなんじゃないかなぁって思っているんだけど、どうだろう?
まったく純粋な意図でボランティアに頼らざる終えないケースってのはあるわけで(その原因は単に経済ゲームに向いてないというだけの場合も大いにある)
まったくの報酬を得ず、与えるばかりをボランティアだと思っている人はボクもあまり好きじゃない。
でも、金銭以外の価値を報酬と考えられ、社会的にはボランティアだとカテゴライズされる行為ってぇのもあると思うんだよね。
契約社会だから、契約はすべき。でも価値の多様化も両者の合意の上ならば広げてもいいかなぁって感じ。
あと、例の一件はひらあやまり。です。
TBについてご指摘頂きまして、本当にありがとうございました。
しかも、何度も送ってしまいました。
ご迷惑をお掛けしたことと思います。申し訳ありませんでした。
先ほど再度挑戦してみたところ成功したようですので、一応ご挨拶まで。
まず↑これからですよね。
ってお久しぶりです。
ホワイトバンド、アタシはあえて買いません。買いませんけども否定するわけじゃありません。でも、政治家が演説しながら白い輪ゴムをちらつかせているのを見て、票集めのような気がしちゃったのはアタシだけでしょうか。汚い大人になってしまったのかしら、アタシ。てかバカでちっちゃい大人になってしまった?!
忘れてたんですけどKouさん、移転先のブログからまたリンク張りました。また遊びに来させてください♪
ハナコアラでダンシングのまやでした☆
いえいえ、お気になさらず。了解です。
■まや さん
お久しぶりです。まやさん。
自分の意思をたかが白い輪ゴムで見せようという安易な考えが鼻につくのだと思いますよ。
リンクの件了解です。