HONDAがASIMOを作る理由
ちょいとまじめな話。
「利便性の時代」というコラムを読んだ。
ワタシのような、社会的にはなんの箔も肩書きもない者が、こんなオコガマしいことをしていいのか?とも思ったが、これこそがblogの利点だと思い込んで、続きの文を書きたいと思う。
冒頭の文
車、パソコン、カメラ、時計でも、道具はある要求水準を超えると本来の機能以外の充実に向かうようになる。
それ以上の性能はいらないけど、商品としての差別化が必要だからだ。
ところが、こうした方向の開発が予想しなかったブレークスルーを切り開くときがある。
21世紀になってそうした例が多くなっているようの思う。
この方は、
HONDAがASIMOやジェット小型機を研究開発している理由をどうお考えなんだろうか?
音質が悪いiPodが売れた理由
アナログ放送が綺麗でない薄型TV
操作にパワーを割くPC
基本性能以上を求められる車
使用スキルが必要なマウスを使う公共端末
著者はこれらを「利便性」というキーワードでくくり、時代が変わったなぁと言っている。
どれもこれも「利便性」というレベルの話ではない。
「利便性」でこれらの事象を見ると、HONDAがASIMOを作る理由は見えてこない。
>>>メーカーの目指す目標値を上げた結果、偶々そういう現象が現れただけであって、「利便性」が時代を示す言葉だとは、申し訳ないがボクは思わない。「利便性」というあまりに足元すぎる結果だけを語っていたのでは、この先何も見えない。
例えば、車の話。
著者が「利便性のデパート」と呼んでいるように、現在の車は“いたりにつくせり”の利便機能で差別化を図っている。
しかし、それは結果論。メーカーの思惑はもっと高いところにある。
現在、どの車メーカーも車を作ろうとはしていない。
「最高の車」からは何十年も前に脱皮し「目的地に移動できるサービス」→「移動とは?」と(企業使命?)目標設定の思考を変化させている。
そのHONDAなりの結果が、偶々車であっただけ。
徒歩でも、ロケットでも、テレポーテーションでもなんでもいい。だけど、HONDAがお客様に提供できる最上のサービスが車であっただけ。
ただそれだけ。
Appleも同じである。音楽を提供するつもりはない。
Appleが考える最もクリエイティブでHappyなLifeを提供したいだけ。
「利便性」とボクが言っていることがどう違うのか?
例えばHONDAを例にすると、
「利便性」を追求するHONDAの場合。
どう便利で、快適で、使いやすい、ということを考えるだろう。だからお客が利便性のおいて100%GooDを出せば、メーカーとして100点の合格となる。無論社会責任としてその他の追求点もあるだろうが。
「移動とは?」を考えているHONDAの場合、
移動に関するあらゆることを考えるだろう。だから、移動したくなるよう観光地の自然保護活動もするし、移動の安心を考え保険業も始めるだろう。ゲーム性の高い移動を考えた結果、「利便性」がまったく無い移動手段も考えられる。壁が高いほど、到着した時の達成感は高くなる。その快感に魅了され、より「利便性」のない移動を求める…という話は、そんなに飛躍した話ではないと思う。
「利便性」を求めたHONDAの姿と、
「移動とは?」を求めたHONDAの姿。
あなたなら、どっちの株を買いますか?
バブル期の多角化経営とは違う、もお分かりいただけたのではないかと思う。
念のため断っておくが、ボクは「利便性」を否定しているわけではない。「利便性」は偶々重なった結果論でしかない。ということを言いたいのだ。「利便性」の時代なんか来ていないと思う。作り手はもっと上のレベルで物事を考えているといいたいのだ。
それは、性能ではなく身近な使い勝手を重視して物を選択する「利便性の時代」の到来だ。と著者が始めに言っておられるが、利用者、消費者視点においての利便性とは十分条件ではない。必要条件だ。時代に左右される性質のものではない。
消費者にとって必要条件の「利便性」
メーカーには思考の結果でしかない「利便性」
「利便性」ではメーカーは考えていないので、
その点においては知床半島の自然は守られることでしょう。
□利便性の時代 [文化環境研究所ジャーナル]
■TrackBack
□Pickupだけ。[きくらげさん]
今時、利便性=時代は変わったと書く事自体が
もうすでにその方のアナクロさがわかりますね。
なんだか、どこかで誰かがさんざん言って来た事を
そのまんま使いまわしてるような。
HONDAにしろ、Appleにしろ、利便性などを通り越した
「自社スタイル」を、顧客に提供する事を社命としているような
そんな感じを受けます。
だから、根強いファンがいるのでしょうね。
書いた日を見ると今月だし・・・
ちょっと驚きでしょう?このコラム。
コンビニはコンビニエンスな店という話。久々に聞きました。二酸化炭素で白くなる話ぐらい。
そして、トラックバックありがとうございます。ちょっと凹な状態でしたのでお返事が遅くなってしまいました。すみません。
僕の考える利便性は2つ。不満を無くした結果によるもの、そして便利を増やしていったもの。これらが上手くバランスが取れたものがヒット商品なのだと思います。
実は、僕がこの元記事をPickupしたのは単純にiPodの話が書いてあったからなんですけどね。
もし、わたしの記事で凹状態でしたら、謝罪いたします。どうもすいませんでした。
>実は、僕がこの元記事をPickupしたのは単純にiPodの話が書いてあったからなんですけどね。
っと書かれているので、そうではない…と思っているのですが。
利便性って良いことのように捉えられていますが、実はいいことでもなんでもないと思っています。
便利で当たり前で、不便がなくなることは当然なのです。つまり、0やマイナスがプラスになったことを利便性というのではなく、マイナスがようやく0に戻ったことを利便性と言うと思います。
サービスする側の怠慢が多かったわけです。
実はあの記事にかかれているどれもこれもが、0に戻っただけの例ばかり。それを時代の流れと捉えるのはいかがなものかと思います。
っというのがワタシの意見です。
すみません
いえいえ、こちらこそこの記事で考えるきっかけができました。あれから、モンモンと考えております。
またまとまったらエントリーするつもりですので、よろしければご一読ください。