身近な哲学者
昨日のこのエントリーを、ちょっと不思議に感じた方もおられるかもしれない。
世の中には、さまざまな問題が存在する。
これだけ高度な社会システムになり、技術が発達し、何百何千のとんでもない天才達がうなぎのタレのように知識を熟成させ、人間に害となる問題を片っ端から退治している。
・・・が、あの超大国ですら蚊を相手に国家対策をしている状況である。
って、これは議論を雲に巻く詭弁だが、
詭弁と判っていても、間違っていると判っていても、
宇宙の真理を考える前に、まずこの目の前を飛ぶ蚊をなんとかしていただきたい!とテレンス・リー口調で言ってみたくなる時がある。
宇宙の真理と、目の前の蚊は、問題階層が違うのだ。
続きは↓ココから↓
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インターネットの通信システムは、『OSI参照モデル』と呼ばれる通信機能の階層構造がある。
物理的な問題(線が繋がっている?機械は壊れてない?)から、
エンドソフトの問題(ちゃんとアプリ設定してあるの?)まで、
7つの階層に話を分け、問題の単純化を目指している。
だから、FireFox開発者に「このケーブルの質っていいのですか?」って聞いても判らない。担当している層が違う。
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この仕組みは、問題を考える上で応用できる。
(それを便宜上、仮に問題階層と言ってみる。多分違う名称があるのだろうが…)
問題階層を一番巧みに使うのが、ワイドショーだ。
問題階層を混ぜこぜにして、視聴者に伝える。
「○○というシステムの問題があったから、このような事件が起こりました。被害に会われた方はさぞかし悲しいでしょう。」被害者が出た という問題階層は、
原因はどうであれ、悲しいことで絶対解決すべきことで、道徳感を加味する人間的な問題。原因によって悲しみの質や量は変わらない。
システムの不具合 という問題階層は、
ある意味でクールに道徳感はさておき、純粋に問題を理論的に思考し、結論を見つける階層。道徳感は別階層で考えればよい。
システムの不具合と被害の大きさを一緒にして考える前に、
まずそれぞれの層に問題を分け、それぞれの結論をつき合わせて総合的な解決を見つけなければ、いつまでたっても複雑な問題のままだ。
短絡的な関連を言うから、
「こんなに悲しい事故だから、これはシステムの大問題だ!」
となってしまう。原因はどうであれ、被害に会われた方は最上級に悲しい。システムとしては些細な問題でも、莫大な被害が起こることはある。被害による悲しさとシステムの問題には関係性はない。
そして最後には、誰にでも理解できる「悲しい」という事と、誰にも考えることができない茫洋とした大問題にしてしまい、霧にまいて、次の話題に。飽きもせずに毎度毎度の無限ループ。
そして、こうつぶやく。
「あーぁ、現代社会は複雑な問題が山積だなぁ…」と。
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冒頭で「こんなに発達しているのに、なぜこんなに問題があるのか?」と言ったが、
この世の問題というのは、
解決しているのではなく生み出されているのだろう。
一つを解決すれば、そこから2,3の問題が見える。
知らないから存在しなかったが、知ったお陰で問題が実体化する。
色々知っているから、問題が複雑化する。
今まで人が信じて疑わなかった「問題の解決」という行為は、
これからの人にとって、良いことなんだろうか?
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「痛い」という感覚は、子供の頃は大問題だった。
注射も痛くなければ、こんな怖い思いをすることもない。
ママに怒られても、痛くなければなんも怖くない。
だけど、医学を知れば「痛い」の存在理由に納得する。
「痛い」は、必要不可欠な存在で問題ではない。
少し考え方が変わるだけで、問題ではなくなる。
こんな解決法もある。
うまく言えないが、
“問題”の内容ばかりに目をやるのではなく“問題”自体に目をやる行為。
“問題”という存在自体を捉え直す
という行為は、どれだけの人がやっているのだろうか?
ってなことを、こいつの顔を見ながら考えていた。
だって、彼は全ての問題を解決する術を知っているような顔
なんだもん。
犬は哲学者。

