立ち止まってゆっくりと…ねっ
色々やっていった結果、本筋を見失っていないか?
ということが多いように思う。
っということをテーマにした三本立て。
■FOMA
色々多機能だの、デザインだのやってるけど、
あれは「持ち歩けるぐらい小さな電話」でしょう?
電波が届かないってどうなの?
太い、でかい ってどうなの?
■某列車事故
やれボーリングしたとか、やれ焼肉食っていたとか
たしかに被害者の心情を考えない無神経さだと思う。
だけど、それが問題の本筋を見失うことになっていないか?
とてもクールなことを言っているのかもしれないけど、
自分は被害者ではない。あなたはどうだろうか?
被害者の気持ちを考えてあげることは、とても大事な事だ。
だけど、自分が(仮想的に)被害者になる必要は無い。
被害者と加害者が考えるべきことがあるように、
第三者が考えるべきことがあるのではないか?
いい意味で、当事者ではない第三者ができることは、
亡くなった方が残してくれた“未来につながる何か”
を見つけ、それを後世に生かすことではないだろうか?
あの時点で、遊戯に感けていたことは非難すべきだ。
だけど「非難されるポイント」はそんな表面的なことではない。
「ボーリングをあの時点で、やってはいけない」ではなく、
「ボーリングをあの時点で、楽しめる」その道徳観を非難すべき。
あの腐った旧体制を非難するパワーを
未来のJRを背負う若者に向けてほしい。
■平和ボケ
「日本人は危機感がない」と良く言われる。
この言葉にとても危機感を感じる。
本来「危機感を感じなくとも生活できる」のが一番いいのではないのか?
だとすると「危機感を感じないと生活できない」状態は、
良い状態ではないことになる。
ひねくれた考えかもしれないが、
「危機感を感じて生きろ!」とは
「それだけ危ない社会になったんだから、それを受け入れてその世界で生きろ」と聞こえる。
「危機感がない」人を否定されるのは、
危ない社会を肯定されているように聞こえる。
「危機感を感じろ」と流布するより、
「危機感を感じなくては生活できない、この現状に目を向けてください」
と流布する方が、一番良い状態を目指す意思があるように思う。
なんだかこの話共感しました。
特に平和ボケの話。
今の世の中は危険だということが前提になってしまっているのが怖いですよね・・・。
犯罪などの被害に遭わないためには、ある程度の危機感が必要だと思うけど、それで得た安全は決して平和とは言えないと思います。
犯罪者がいなくなったことにはならないですから・・・。
共感してもらい、ありがとうございます。
最近のTVは「あなたの健康や安全の為に教えてあげているのですよ!」っという顔で、余計な危機感を煽っているいるようにも見えます。
今回の列車事故で、電車の安全への無配慮が非難されていますが、
非難することはあまり重要ではなく、その経験を生かす今後の努力の方が大切で、
いままでそんな配慮も無く、安全に運行ができていた運転手をはじめとした現場の人達の努力と実績を賛美することで、より仕事へのプライドと自信と道徳観を感じてほしいと思います。
私も読んでてすごく共感しました!
あの列車事故以来、マスコミがこぞって事故当日に何かあったかを事細かに報道していますからそれを意識しての事もあると思うのですが、各鉄道会社がぴりぴりしたムードになっていますよね。
ダイヤの乱れが起きない様に、客とのトラブルを起こさないように・・・あの事故で学んだものは『トラブルを起こしたら大変だから気をつけよう』という事ではなく、『利益優先で失われた列車の安全性の確保を最優先させる』事だと思うのですが^^;
何が問題の本質なのか、それを間違えないで欲しいものですよね。
ハジメマシテ、さくらさん
ありがとうございます。
ボクは普段、電車には乗らない人間なのですが、ピリピリムードになっているのは安易に想像できますね。
ボクのような考えをしている人は、世の中には多くおられるのだと思っています。ですが、その声が世間に聞こえる…ことはすくなかったでしょう。
ホリエモン、彼の賛否はありますが、
彼の言っていた「インターネットと融合することによる新しいマスコミ」は、稚拙かもしれないが確実に芽吹いているのだと感じます。
その一つの大きな節目に現在立っており、その節目はブロガーが作ったものであると思います。
そう実感すると、なんかワクワクしてきます。