くだらない話

「やっぱり、Artは面白いなぁ・・・」
今回見て回った作品は、偶然にも「境界線」を意識させられた。
これは本物なのか?それとも偽者なのか?
これは写真なのか?それとも絵画なのか?
これはArtなのか?それともゴミか?
全ての物事には「境界線」が存在する。
大昔の人間が獲物の絵を壁に描いて以来、
Artは「境界線」への挑戦をしつづけたとも言える。
「印象〜日の出」で「Artの可能性」境界線を提示し、
アンディ・ウォーホールは商業との境界線を提示し、
木村伊兵衛写真賞を受賞した澤田知子氏は写真の「境界線」を提示した。
彼女は自分でシャッターを切らない(らしい)。
自分のお見合い写真を撮っているのだから、普通といえば普通の話。
だけど、
カメラのシャッターを切らない写真家。
果たして、これで写真家と言えるのか?
この問題定義を聞いて、頭の柔らかい方ならこういうだろう
「そんなこと、どうでも良くない?」と。
そう、どうでもいい話なのだ。
では、写真家とは?写真と呼ばれる作品とは何なのか?
カメラという機器を使って、Art作品を創造する人を写真家というこの定義に疑問を持つ方は、そういなかっただろう。
彼女が登場するまでは・・・。
今ではどうだろう?
先ほど、「そんなこと、どうでも良くない?」と思った方にお聞きしたい、
写真家が写真家たるのは何なのか?
写真が写真たるのは何なのか?
普通のお見合い写真とセルフポートレイトの違いは何?
彼女が提示した「境界線」に無意識に束縛されている、
そのことを意識していた写真家が果たして何人いたのだろうか?
■Artは難しい? いやいや、くだらないのだ
「Artは難しい、何か分からない」と良く耳にする。
その原因の一つとなっているのが、このような「境界線」を提示するタイプの作品だと思われる。
このお見合い写真のように、あまりに一般的でありふれた物をわざわざ「Art」し展示する。
「私のお見合い写真と、どこがちがうっちゅーねん!」
と思われるだろう。
この言葉は、
貴方が「境界線」を意識し、その境界線に疑問を感じた
という意味ととれる。
疑問を感じれば、その答えを見つける行為ができるようになる。それは、新しい発見に繋がる。
感覚的には、マジックのタネを教えてもらったのに似ているのかも?
タネを聞いたら、「なーんだ!」って思い、大したことないなぁって思うのに、
聞く前はとても不思議に思い、大袈裟に騒いで、
ホントに超能力なんじゃないか?って半信半疑になったりもする。
天動説を真剣に信じていた人間がいたことを、なんとなく信じ難いのにも似ている。
この落差。
この落差の後の方だけ見せられれば、そりゃ誰だって「くだらないなぁ」って思うだろう。
そこにある作品がくだらないのではない。
そこに形は無いが存在している「境界線」がくだらないのである。
□Tomoko Sawada web
□はてなダイアリー - 木村伊兵衛賞とは