っでVODって何時になったら一般化するのさ?

技術の歴史を振り返ってみれば、私たちはどうやら予測には長けていないようだ。この“長けていない”という表現にとても惹かれた。
こういった内容が書かれる時、
「人間に予測は無理です」とか「人が未来を予測するのは不可能です」と、絶対的NOという文面が多いと思う。
ところが、“長けていない”と書くと
「予想という能力は、人間はたまたまそれが不得意なだけ」
とNOには違いないけど、なんとなく柔らかい印象が持てる。
同時に
「結論ではなく、いまのところ仮の結論」
的意味も感じる。
つまり、慰めかもしれないけど、まだまだ諦めてはいけない一筋の光があるような、そんな文面だぁって思った。
そして、こう続く
だからといってどんな変化が起こりうるかについて鈍感であっていいというわけではない。予測に長けていないかもしれないが、未来を見る目は必要で、
眼球に映った光を灯台として、人は未来に進む。
人にとって、
正確な未来を知ることよりも、
正しい未来の方向性に導く存在と、その未来を実現してしまう行動力の方が必要なんだろう。
って、イワシを食いながら思った。
どうやら、こんな簡単な未来も予測できない人のようです、自分。
※関西では節分にイワシを食べます。
明日食えばいいものを・・・忘れてました。
イワシは明日ですね(笑)。
一瞬、忘れたかぁ?!しもたぁ!と思ってしまいました。
恵方巻とか、関西の節分の食は面白いですね♪
っていい言葉ですね。