むう罪

●自分は映画版を見て撃沈!されたので、元である舞台版はもぉ見れないだろうと諦めていたのです。ところが再演決定を知り狂喜乱舞。速攻でチケットを手配しました。
流石先行販売で取っただけあって、6列目左列中心側という最高の席。
もぉねぇ!すげー近いの。輪ゴム飛ばして当てられるぐらい。
●ミーハーだけど、
あんな近くであんな有名人何人も見たの初めて。
舞台は何度もありますよ。でも劇団四季とか歌舞伎だから「あっTVで見たことある人だ!」って経験はなかったんですよね(歌舞伎だと化粧でなお更)
始まる前は、どんな気分だろう?ってワクワクしたけど、
以外にあっさりな感覚。
多分、TVでよく見る人ばかりが目の前で演技してるから、実体なのにTV通して見るのと錯覚しているのかもしれない。
●TVで言ってたんだけど、全然取れないちょいプラチナチケットだったみたい。うははww。確かに通路全てにパイプイス置いて、超満席だった。
●舞台の最後の挨拶って、どうにかならんのか?
2、3回のお世辞喝采に答えることが組み込まれた“お決まり”になってて、滑稽。
でもこの舞台では、2度の“お決まり”出演者挨拶では収まらず、3回目では観客ほとんどが立って喝采の大盛況だった。
ああいう心底の拍手ができる状況を作るべき。日本人的お世辞はなんの意味もない。
続きは↓ココから↓
●全体的に映画版とほとんど同じ。現代用にアレンジはなく、忠実再現。
12人のキャラ、役割もほとんど同じで、ストーリーも同じ。
流石ナマはやっぱええわ。何度見ても面白い作品だけど、より新しさを感じさせてくれたことに、とても感謝。今再演してくれたことに感謝。忠実に再現してくれたことに感謝。そして先行販売を知らしてくれた幸運に感謝。
●こんなに忠実に再現しても、キャラが古く感じない点は凄い。
それだけ当時から典型日本人タイピングができていたってことかも。
●以下の文はかなり細かく、厳しく、マニアック。
作品を愛するが故、そして舞台版がどうであったかを示す基準として映画版との差を書いています。決して映画版賛美派ではない。全体に微細で主観的なのは、それだけの差しかない忠実さを示していると思います。
●1号(議長を務める体育教師)
自分が議長役割を取られるとスネる。が少し強調されているかな?
体操することで体育教師であることを強調。その点では「怒れる」に近い?
よりキャラがハッキリしていて、爽やかさがUP!
●2号(最初に有罪を支持する別居中リーマン)
映画版は相島一之さんなんですが、相島さんの弱弱しく神経質な印象より、生瀬さんは少し骨太な印象。
相島さんを目指すよりは、生瀬さんらしく再構築した方がよかったのかもしれない。作品キーマンだけに変更か?忠実か?は悩みどころ。
●3号(波風嫌いな世話焼き喫茶店長)
映画版の方がより「壊れた感じ」がでていた。少々キャラが弱い印象。
毎公演クリ向いているんだろうか?
●4号(愛妻家の天然ボケな直殴る人)
映画版の4号はぱっとしない感じ、なのに後半の重要キーマン。それを隠す為にわざとぱっとしないようになっていたが、舞台では、それをこなした上にキャラ付けがされていたので、より深みあるキャラになっていた。愛妻家だという設定も今風でボケの伏線として面白い。筒井さんの持ち味との相性もええ感じ。
●5号(何でも書いてある手帳の持ち主)
映画版の方が、理論派を気取るキャリアウーマンが出ていたなぁ…。石田ゆり子さんでは美人過ぎる。
映画では、もっと不細工で年配な人がやっていたのだが、そこから感じられるその人のいままでの人生(あまりもてず、真面目に勉強をし、注目される人の言葉を素直に受け人生を一生懸命歩んだ満ち満ちた自信)と、
そんな人がいとも簡単に9号によって撃墜され、あげくにほのかな恋心も持つのに、それすらも撃墜されるという、9号に弄ばれ過程が、薄い。
9号である小日向さんが、石田ゆり子さんを弄ぶということ自体が、想像できない。
もっとPTAで五月蝿そうなおばはんの方がよかったかも。
●6号(非積極的な多忙リーマン)
映画、そして元ネタである「12人の怒れる男」でも、もっともっと油ギッシュなキャラだったのに、それが薄味に感じた。既にあんなリーマンはマンモス同様化石しか現存しないという現代風アレンジなのか?
最後の唯一協力的にするところは、もっと強調されてもよかったのに。
個人的には、姉歯よりダヨーンのおじさんの方が好き。
●7号(わくわくお見合い広場に登録するモテない40代)
この作品は突出したキャラがなく、比較的均等に12人にスポットが当たる。
しかし役割はそれとは別にあるわけで、例えば11号は最後のええ所を持っていく、赤レンジャー的役割のいった具合。
黄レンジャーに相当する7号(舞台:温水洋一)だが、映画では突出したそれはなく、黄レンジャーというより「そういった人っているよね?」という人間分類の典型1例と捉えられた。
このキャスティングに温水さんを入れる事自体が、黄レンジャーを一手に引き受けることを意味すると思う。映画版にあった「そういう突出したキャラに頼らないあえて茨の道を選んだ上での傑作」感は好きな点だったので、温水さんってそりゃ卑怯だろ!感を少し感じた。が、それを凌駕する圧倒的な温水さんパワー!面白すぎる。最終兵器。
ある意味、舞台というメディアの制限(最も前面に背高い物体を置くと見えにくい)対策である、低い椅子のためだけのキャスティングとも思えた。
そして、この役割は記号化しやすいのでグッズにしやすい。
会場では「有罪でも無罪」温水Tシャツが売られていた。
後のビジネスを見越したか?それとも三谷氏がより現状のビジネスの“コツ”を理解した結果の配慮か?
最後の挨拶にはネクタイまで締めていたので、その早技に驚き。
●8号(元気で派手でミーハーな今風子持ちOL)
最も忠実でないと感じたキャラ。
映画は少々不思議ちゃんだったが、舞台版は80年代キャピキャピを未だ引きずり、流行をフォローすることで自分の若さをアピールする悲しい子持ちに。
今風にアレンジは大成功。
●9号(インテリな初老の歯医者)、
小日向さんは凄く好きな俳優さん。もの凄くウマいと思う。
だけど、後に剥がれる外見と実際の差が9号の重要要素だと思うのだが、小日向さんでは、外見が足らないように思った。年齢、インテリ感、金持ち感。
その影響で5号の弄び感も薄い。
もしかしたら、飄々とした小日向さんを前に見ているからかもしれないけど。
●10号(鼻血だす気弱な主婦、堀内敬子)
唯一初見の俳優さんでした。
映画では腹立たしいほどのモジモジおばさんでしたが、舞台では4号同様その上に、時には踏ん張る!けどやっぱダメ…という複雑さが加わっていた。腹立たしい感じも消えてよかった。
●11号(弁護士とウソつく俳優)
「実は弁護士なんです」と言われてもウソっぽい、独特のペテン師風味が重要だと思う。言葉では理路整然と論理的的なことを言う。けど、なんかペテンっぽい。見ている側はそう感じるのに、劇中の11人はそんな彼の言葉にも流されるほどテンパっている。その図式が面白さを後押ししてくれていたと思うのだが、そういうペテン師ぶりが江口洋介さんからは感じられなかった。
映画ではいかにもペテン師な服装だったのが、全身黒衣装に変えられたところから、江口さんに要求されたのは、ペテン師ではなかったんだろう。
でも、その代わりになるキャラが分らない。伝わってこなかった。
江口さんは、「ひとつ屋根の下」的3枚目も「白い巨塔」的2枚目もこなせる、凄い人。だけど、今回はどちらも中途半端に顔だしていて、どちらの江口さんと見れば良いのかわからなかった。
●12号(場をつい仕切ってしまう仕切り屋)
流石、声の仕事をしている方だけあって、最もずっしり安心できる声だった。
だけどキャラは少し薄め。だけど、状況を端的に示してくれる観客に優しいサポートキャラだった。
前半は色々仕事があるが、後半役割が薄くなる点は、映画でも惜しいところ。特に舞台では、唯一頼れる判断者(議論の平均値を示すキャラ)である点が薄く、議論の情勢(どちらが優勢?今までの議論を聞いて、どう思うか?が平均的な判断?)が読み取りにくくなっている点が惜しい。
□『12人の優しい日本人』今回の舞台のHP
□三谷幸喜データバンク
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