全国総貿易商計画

むしろ発想を転換して、記事に訪問者を誘導する手法と考えトラックバックを折角送ってみたので、前エントリー「■mixiの渡り方」でトラバした、
□Travellers Tale: mixi でトピックに書き込む奴は思考力と読解力を鍛えて出直せ
の続きの話にも触れてみたい。
Hiroさん曰く:
学生の頃は、数学や理科なんて実生活じゃ必要ないよ!なんてうそぶくものですが、最近はこれらの大切さをひしひしと感じます。とは、大人なら一度は言ってみたい名言(^^)ですが、ここから読み取れる義務教育の弱点は「理解の深さ、度合いはそれぞれが決めればいい」ということなんじゃないかなぁと?
続きは↓ココから↓
この間、NASAでも仕事をしたという方とお話する機会がありました。
理系のエキスパートである方に恥ずかし気もなく「物理に興味があって、相対性理論って面白いですね」なんて言ってみた。しっかり弁明をつけて…。
その弁明というのは、
あなたの理解度とボクの理解度では、全然レベルは違うはず。けど、ボクの(誤認もあるだろう)拙い認識でも、ボクには十分で楽しい。
ボクは物理で飯食うつもりもないので、自分に満足度があればそれでいいんだと思う。
今改めて書くと、弁明の方が面の皮が厚い…(今更恥ずかしい)
こういう考え方を聞いて、教育関係者さんはどう思うだろう?
自分が見てきた教科書は、物理に限らずどの強化も「その道のプロ」を養成するものだった。
教育関係者さんは「そんなことはなくって、最低限又は必要十分ですよ」と言われるかもしれない。でも現実にはその最低限は高くはないですか?
理系分野の学習で良く言われるのは「論理的思考の養成」であるが、
誤解を恐れず言うと、そんなものもどちらでもいいと思う。
難しいと固定観念が付いてしまった理科や数学をやるより、紳介のPQやロジック系なぞなぞ(正直村と嘘つき村みたいな)の方が、子供にとっては全然取得効果があるように思う。
それよりも、どんなことを学習しても、自分の生活に結びつけることができる情報貿易能力(←今作った)を身につける方が大事なのではないか?
数学や理科なんて実生活じゃ必要ないよ!とは誰もが思うことだが、
この原因はその教科毎の教え方の問題なのではなく、どんな情報も自分の生活に貿易(フィードバック)することで、より身近な理解と、自分自身の為になる、ということを教えていないことだと思う。
あえて貿易という言葉を使ったのは、ただ単にフィードバックするだけでなく、個々それぞれが工夫を入れる必要があると考えたため。ただ輸入するだけでは商売にならないでしょう?
選択眼(売れるか?=自分に役立つか?)と
商売上の工夫(どうプレゼンすれば売れるか?=どう解釈すればより自分に有益になるか?)
という要素が入っています。
国語や社会は貿易の距離が近すぎて、逆に難しかったり、貿易が簡単であるが皆同じ貿易をしてしまう教科。
対して理科や特に数学は、皆が役に立たないと思うことからも、遠い貿易だと言える。遠い貿易はリターンは大きく、難しい反面貿易方法が多様化する可能性がある。(マンガ家の江川達也氏は、数学→マンガの貿易をすることでネームを描いているらしい)
自分がお世話になったマッサージ師の方は、すごく上品で優しく親切な方だけれども、「水からの伝言」の話をすると止まらない。
一度地雷を踏んでマッサージの効果が吹っ飛んだ経験があるのだが、次からは「水からの伝言」貿易をやるようにした。
たしかに引くほどトンデモだけど、トンデモ遠い貿易はハイリターンが期待できる。遠すぎて一周回って隣だった…ってことも経験済み。
□Travellers Tale: mixi でトピックに書き込む奴は思考力と読解力を鍛えて出直せ
私は輸入超過で、その在庫処理に追われているような…(汗)
トラックバックの記事と合わせて読ませていただいて、
断片的に浮かんでくる思いはあるのですが、まとまりません…
処理能力不足を痛感しております。
知識の価値が下がったという話はご存知ですか?
昔は「おフランスでは〜〜なのよ〜ぉ」と言うだけで評論家、専門家として食えましたが、InterNetのおかげで知るだけならサルでも知れる時代になったため、価値が下がったというわけです。
知識を知恵にコンバートでき、それを表現することを求められる・・・住みにくい世の中になったものです。